『1300年前の奈良新聞』5
1300年前の6月24日、太陰暦では養老元年(717)6月1日である。この日に起きた出来事を紹介してみたい。
平城京を管轄している右京職という役所から、「素性仁斯という女性が、三つ子を産んだ」という報告があった。そこで政府は、この女性に対して、褒美として衣服・食料と乳母と呼ばれる女性1名を与えている。
現代の自然妊娠では、双子の確率は1/100、三つ子は1/1000、四つ子は1/10000とも言われている。その中で、『続日本紀』と呼ばれる史料には、この様な多産記事として18例が記されている。そのほとんどが、三つ子を産んだものであり、四つ子を産んだものは2例しかない。そして、3回の出産で合計6人の子を産んだ事例も1つ記されている。
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