『1200年前の京都新聞』4
1200年前の6月25日、太陰暦では弘仁8(817)6月2日である。この日に起きた出来事を紹介してみたい。
修円という僧侶を室生山へ派遣して雨ごいをしている。室生山とは、観光地として有名な室生寺(奈良県宇陀市室生区)の東側にある山である。そこには、式内小社の室生龍穴神社があり、祈雨や止雨の霊験があった。1年後の弘仁9年7月14日にも、室生山にあった龍穴に雨ごいの使者が派遣されている。
この頃、どうして室生の龍穴で集中的に雨ごいがされていたのであろうか。今後も調べてみる必要があるが、近い内に「関西の歴史散歩」のメンバーと一緒に現地を訪れて考えてみたい。興味ある方は、一緒に行きましょう!
修円という僧侶は、大和国北谷の出身であり、俗姓は小谷氏であった。興福寺で法相宗を学んだ後、比叡山の最澄とも関係を持ち、弘仁3年に興福寺の別当となった。その5年後の47歳の時、雨ごいのため室生山に派遣されたのであった。そして、承和2年(835)7月に65歳で没している。
室生寺は、宝亀年間(770~781)に、室生にいた竜神の力で山部親王(のちの桓武天皇)の病気が回復したので、興福寺の賢憬(賢璟)という僧侶に命じて作らせた寺院であった。この僧侶は、延暦12年(793)没しており、室生寺の実際の造営は、同じ興福寺の僧侶であった弟子の修円が引き継いだ。現在の室生寺には多くの建物があるが、修円が生きていた頃に完成していたのは、五重塔だけであったと推定されている。この五重塔は、法隆寺についで2番目に古いものであると共に、屋外にある木造五重塔の中では最小であった。
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